爆笑問題

爆笑問題はタイタン所属のお笑いコンビで、太田光がボケを担当し突っ込みは田中祐二が担当しています。
デビュー当時は太田プロ所属で「お笑い第三世代と第四世代の狭間の世代の代表」といわれています。
ショートコントは作りこまれており注目を集めましたが、次第に漫才を主体とし太田の毒に満ちたボケと田中のストレートな突っ込みは正統的漫才で人気を博します。
太田プロからの独立でテレビから一時的に仕事がなくなり姿を消し干された状態になりますが、太田光の妻を社長にしタイタンを設立し1993年からはテレビ復帰を果たします。
漫才コンビとして始めてNHKの新人演芸大賞を受賞します。
黄金ボキャブラ天国では初代名人に輝くなど当時のキャッチフレーズは「不発の核弾頭」
多数の賞を受賞し、10年以上もポジションを得て常に成長しながらバツグンの安定感を見せていると評価もされています。
太田は、田中との比較において絶対的な自信を持っており様々な機会を捉えては非難などを繰りかしますがこれはギャグの一つです。
太田の田中への非難は爆笑問題の名物でもあり、コンビ仲が悪いと心配されることもありますが昔からのファンからは爆笑問題は信頼関係があるからこそ出来るギャグだと評しています。
爆笑問題は太田の方が強い立場に見えますが、実際は田中の方が短気ですぐに解散を口に出すため爆笑問題がもめると謝るのはいつも太田です。
爆笑問題のネタは主に太田が作っており、田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き田中がツッコミを入れながらネタを書き留めるスタイルをとっています。
太田はその書き留める姿をみて田中を書記と指しています。
スクラップした新聞記事が元のため、時事ネタや社会風刺を題材にしたものが爆笑問題の漫才には多く「社会派漫才」と呼ばれています。
太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」とも語っており爆笑問題の漫才へのこだわりをみせています。
爆笑問題のデビューして間もない頃、二人の才能を見抜いた落語家立川談志は太田に応援の言葉を送り田中を切るなと、太田に田中の重要性を説いています。
爆笑問題は明石家さんまや、タモリ、ビートたけし、渡辺正行からも評価を得ています。
タモリとはブレイク前からの付き合いもあり、「タモリ倶楽部」は一番実力が発揮できる場所と公言しています。
さんまは、他人の番組に滅多にゲスト出演しないが爆笑問題カーボーイにはゲスト出演をし異例だといわれています。
太田はビートたけしの影響を強く受けており、映画を撮りたいと思ったときに相談もしています。
たけしは爆笑問題結成当初のコントを観たことがあり、「面白い」と評価をしていました。
渡辺正行は爆笑問題の結成当時からの毒舌ネタなどを周囲から擁護し理解者として支えています。
多くのお笑い界の著名人から支えられ、またファンもいることから爆笑問題の漫才師としての評価がうかがいしれますね。